天三町会
天三町会は、1928年(昭和3)年、野村(名前は不詳)氏を初代の会長として「天神町三丁目町会」という名称で誕生し、湯島天満宮のほぼ東と東北のあたりの、いわゆる天神下と呼ばれた地域に住む人たちの親睦と発展を願って組織されました。
天三町会
会館
町会が誕生した年の10月には、昭和天皇ご即位のご大典を記念して、大小 の神輿各一基と山車一台を南部屋五郎右衛門に注文して作成し、幸いにも戦禍を免れて、今も町会の大切な財産として、祭礼のときにはいつもたくさんの人々に担がれています。
五代目の会長.島田彰史氏のとき、現在の町会会館がある土地を購入し、1934年に事務所が建設されました。以降、町会が法人化するまで、その土地、建物は代々町会長の名義で登記されてきました。
第二次世界大戦中の1941年には、和田義春氏が六代目の会長に就任しましたが、戦禍が続くなか、町会を存続させるために、隣接する同朋会町会と相はかって「天三同朋町会」を編成しました。しかし、相次ぐ戦火で多くの人たちが天神下から離散したため、この暫定町会も機能を果たすことができず、瓦解せざるをえませんでした。
戦後になると、しばらくの間は前役員や元役員が中心になって天三町会の再編に努力しましたが、もっとも多難な時代だったため、崩れた組織を立て直すことがむずかしく、とりあえず「親和会」という名称で睦会を組織するにとどまりました。
しかし、戦火の傷が癒えて復興の兆しが見えはじめた1952年になると、「親和会」の役員を中心に、三々五々疎開先から帰ってきたり復員した元役員が加わり、待望していた「天神町三丁目町会」を蘇らせることができました。